シリーズ第1回では医事会計からオーダリングまで、第2回では電子カルテの誕生と普及をたどりました。最終回となる本記事では、2018年頃を起点とする「医療DX」の時代を扱います。国が医療情報の標準化と全国規模の情報連携を政策の柱に据え、同時にサイバーセキュリティやクラウド、生成AIといった新しい技術と課題が病院情報システムを大きく変えつつある現在までの歩みと、今後の展望を整理します。
なお、医療DXに関する制度や事業は現在も進行中であり、名称や時期が変更されることがあります。本稿は2026年時点の公表情報に基づく整理であり、最新の状況は厚生労働省や関係機関の一次情報で確認してください。
2018年前後:データ活用への転換点
2018年5月、「医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律」、通称・次世代医療基盤法が施行されました。医療機関が保有する診療情報を、認定された事業者が匿名加工して研究開発に提供できる仕組みで、電子カルテに蓄積されたデータを社会全体で活用する道が制度的に開かれました。同じ頃、国は「データヘルス改革」を掲げ、保健医療情報を個人が生涯にわたって活用できる基盤の整備を打ち出しています。
病院の側でも、この時期にデータ活用の実務が広がりました。DPCデータや電子カルテのデータをデータウェアハウス(DWH)に集約して経営指標を可視化する取り組みは、大病院では一般的になりました。診療報酬においても、2014年に導入されたデータ提出加算が段階的に対象を拡大し、回復期リハビリテーション病棟や療養病棟、精神病棟でもデータ提出が要件化されていきました。「データを出せる病院」であることが、入院料を算定するための前提条件になったのです。
- 2018年 次世代医療基盤法施行:匿名加工医療情報の研究開発利用
- データヘルス改革:個人が生涯活用できる保健医療情報基盤の構想
- DWHによる経営可視化が大病院で一般化
- データ提出加算の対象拡大で「データを出せること」が入院料の前提に
オンライン資格確認と電子処方箋:全国基盤の稼働
医療DXの物理的な基盤となったのが、オンライン資格確認システムです。2021年10月に本格運用が始まり、マイナンバーカードを健康保険証として利用して資格情報を即時に確認できるようになりました。2023年4月には保険医療機関・薬局への導入が原則として義務化され、ほぼすべての医療機関が全国ネットワークに接続する状態が実現しました。2024年12月には従来の健康保険証の新規発行が終了し、マイナ保険証を基本とする体制へ移行しています。
この全国ネットワークを土台に、2023年1月には電子処方箋の運用が始まりました。処方情報を電子的に発行・受け付けることで、複数の医療機関や薬局をまたいだ重複投薬や併用禁忌のチェックが可能になります。さらに、患者の同意のもとで薬剤情報や特定健診情報、診療情報を医療機関が閲覧できる仕組みも順次拡充され、「患者情報が医療機関の外に出て全国で参照される」という、従来の院内完結型の病院情報システムとは異なる前提が生まれました。
- 2021年10月 オンライン資格確認の本格運用開始、2023年4月 原則義務化
- 2024年12月 健康保険証の新規発行終了、マイナ保険証へ
- 2023年1月 電子処方箋の運用開始
- 患者情報が院外で参照される前提への転換
医療DX推進本部と工程表:標準化・共有・改定DX
2022年10月、政府は内閣に「医療DX推進本部」を設置し、2023年6月には「医療DXの推進に関する工程表」を決定しました。工程表は、①全国医療情報プラットフォームの構築、②電子カルテ情報の標準化、③診療報酬改定DXという三つの柱を掲げ、それぞれについて年度ごとの目標を示しています。医療情報システムの歴史において、国がこれほど具体的な工程を伴って全体像を示したのは初めてのことです。
電子カルテ情報の標準化では、国際標準であるHL7 FHIRを採用し、まず「3文書6情報」、すなわち診療情報提供書・退院時サマリー・健診結果報告書の3文書と、傷病名・アレルギー・感染症・薬剤禁忌・検査・処方の6情報を標準形式で交換することが定められました。これを全国で共有する仕組みが「電子カルテ情報共有サービス」で、2025年度からモデル事業を経て運用が開始されています。2024年度の診療報酬改定では、この基盤への対応を評価する医療DX推進体制整備加算が新設されました。
また、電子カルテの普及が遅れている中小病院や診療所に向けて、国が主導して開発する「標準型電子カルテ」の構想も打ち出されました。2024年度に開発が始まり、2025年度にモデル事業として一部の医療機関で運用が開始され、2030年までに概ねすべての医療機関で電子カルテが導入されることが目標とされています。診療報酬改定DXでは、改定内容を反映した「共通算定モジュール」を国が提供することで、ベンダーごとの改修負担を減らし、改定の施行時期を4月から6月に後ろ倒しする措置も2024年度改定から実施されました。
- 2022年 医療DX推進本部、2023年 工程表:プラットフォーム・標準化・改定DX
- HL7 FHIRによる3文書6情報の標準化と電子カルテ情報共有サービス
- 標準型電子カルテ:2030年までに概ね全医療機関への普及目標
- 共通算定モジュールと改定施行の6月化(2024年度〜)
サイバーセキュリティ:ランサムウェアが突きつけた現実
医療DXが進む一方で、2020年代は病院がサイバー攻撃の標的となる時代でもありました。2021年10月には徳島県の町立病院がランサムウェアに感染して電子カルテが使用不能になり、約2か月にわたって通常診療が制限されました。2022年10月には大阪府の大規模な急性期病院が同様の被害を受け、外来診療の停止や救急受け入れの制限が長期化しました。いずれも院内ネットワークに接続された機器や取引先経由の侵入が原因とされ、「病院は閉じたネットワークだから安全」という前提が崩れました。
これらの事件を受けて、制度面の対応が急速に進みました。2023年4月には医療法施行規則が改正され、医療機関の管理者にサイバーセキュリティ対策の確保が義務づけられました。「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」は2023年5月に第6.0版へ改定され、経営者・企画管理者・システム運用担当者という立場別の編構成となり、バックアップの3-2-1ルールやネットワーク境界の防御、事業継続計画(BCP)の整備など、具体的な対策が求められるようになりました。医療機関向けのサイバーセキュリティ対策チェックリストの提出も、立入検査の項目に加わっています。
サイバーセキュリティは、病院情報システムの選定と運用における重要な判断軸となりました。オンプレミスで院内にサーバを置くことが必ずしも安全ではなく、専門の運用体制を持つクラウド事業者に委ねる方が堅牢だという認識も広がっています。同時に、外部保存やクラウド利用にあたっては「医療情報を取り扱う情報システム・サービスの提供事業者における安全管理ガイドライン」を含む「3省2ガイドライン」への準拠が求められ、病院とベンダーの責任分界を明確にする契約実務も重要性を増しました。
- 2021年・2022年 ランサムウェアによる大規模な診療停止事例
- 2023年4月 医療法施行規則改正でサイバーセキュリティ対策が義務化
- 安全管理ガイドライン第6.0版:立場別構成、バックアップ・BCPの具体化
- 3省2ガイドラインへの準拠と責任分界の明確化
クラウドと生成AI:病院情報システムの次の形
技術面では、クラウド型電子カルテの普及が2020年代の大きな流れです。院内にサーバを置かず、データセンター上のシステムをネットワーク経由で利用する形態は、初期投資の抑制、災害時のデータ保全、セキュリティ運用の専門化、そして頻繁な機能更新といった利点から、まず診療所や中小病院で広がり、大規模病院でも採用が進み始めています。安全管理ガイドラインの整備とネットワークの高速化が、この流れを支えています。
そして2022年末からの生成AIの急速な進化は、病院情報システムのあり方を根本から問い直すものとなりました。診察中の会話を音声認識で記録し、その内容から診療記録の下書きや退院時サマリー、紹介状を自動生成する機能は、第2回で触れた「記録負担の増大」という長年の課題に直接応える技術です。看護記録から重症度、医療・看護必要度の評価項目を抽出したり、算定漏れの可能性を指摘したりする用途も広がりつつあります。
こうした流れの先に位置づけられるのが、AIを後付けするのではなく設計の中核に据えた「AIネイティブ電子カルテ」と、複数の業務をまたいで自律的に処理を進める「AIエージェント」の構想です。入力の瞬間からデータが構造化され、記録・検索・要約・意思決定支援が一体で動き、事務や算定にかかわる定型業務をエージェントが担う。これは、60年前に医事会計の電算化から始まった病院情報システムが、「記録するための箱」から「記録を起点に価値を生む基盤」へと役割を変える転換点といえます。
- クラウド型電子カルテ:初期投資抑制・災害対策・セキュリティ運用の専門化
- 生成AI:音声認識と文書自動生成が記録負担の課題に直接応える
- 看護必要度の抽出や算定漏れ指摘など、制度対応へのAI活用
- AIネイティブ電子カルテとAIエージェント:「箱」から「基盤」への転換
歴史から見える、これからの病院情報システム
60年の歴史を振り返ると、病院情報システムの発展には一貫したパターンが見えてきます。第一に、制度が変化の起点になってきたことです。国民皆保険がレセプト業務を生み、1999年の通知が電子カルテを可能にし、DPCが構造化データを求め、医療DX工程表が標準化を進めています。制度の方向性を読むことが、システム投資の判断において決定的に重要です。
第二に、「現場の負担」と「データの価値」のあいだの緊張が常に存在してきたことです。オーダリングは医師に入力を求め、電子カルテは記録負担を増やしました。一方で、そのデータがDPC分析や経営改善、研究に価値を生んできたのも事実です。生成AIとAIネイティブな設計は、この緊張を初めて根本から緩和できる可能性を持つ技術として位置づけられます。
第三に、個別最適の積み重ねが長期的な負債になるという教訓です。部門ごと、ベンダーごとの独自接続は、ロックインと更新負担を生みました。これからの病院情報システムの選定では、HL7 FHIRなどの標準への対応、クラウドによる運用負荷の軽減、AIによる記録・算定の支援、そしてサイバーセキュリティの体制を、一体のものとして評価することが求められます。歴史を踏まえた選定が、次の10年の病院運営を支える基盤になるはずです。
- 制度が変化の起点:政策の方向性を読むことが投資判断の鍵
- 現場負担とデータ価値の緊張を、AIネイティブ設計が緩和する可能性
- 個別最適の積み重ねは負債になる:標準対応・クラウド・AI・セキュリティを一体で評価