今日の病院では、受付から診察、検査、処方、会計まで、あらゆる業務が情報システムの上で動いています。しかし、この姿は一朝一夕に出来上がったものではありません。病院情報システム(HIS: Hospital Information System)は、1960年代の医事会計の電算化から始まり、部門システム、オーダリング、電子カルテ、そして医療DXへと、およそ60年をかけて段階的に発展してきました。
本シリーズでは、この歩みを3回に分けて解説します。第1回となる本記事は、電子カルテが登場する以前、医事会計システムとオーダリングシステムが病院に根づいていった1960年代から1990年代を扱います。歴史を知ることは、なぜ今の病院システムがこのような構造になっているのか、そして次に何が変わろうとしているのかを理解する土台になります。
出発点は「レセプト」:国民皆保険と医事会計の電算化
日本の病院情報システムの歴史は、診療の記録ではなく「お金の計算」から始まりました。1961年に国民皆保険が達成されると、すべての医療機関が診療報酬点数表に基づいて診療内容を点数化し、毎月、診療報酬明細書(レセプト)を作成して審査支払機関に請求する業務を負うことになりました。患者数の多い病院では、この計算と転記の作業量が膨大になり、事務部門の大きな負担となっていました。
1960年代後半から、大規模病院を中心に、この医事会計業務を大型汎用計算機で処理する試みが始まります。当初は計算センターへの外部委託やバッチ処理が中心で、診療内容を紙の伝票に記入し、それをパンチカードなどで入力して月末にまとめて計算するという方式でした。それでも手計算に比べれば飛躍的な効率化であり、医事会計システムは病院における最初の本格的な情報システムとして定着していきました。
医事会計が最初に電算化された理由は明確です。診療報酬点数表という全国共通のルールがあり、計算のロジックが明文化されていたこと、そして毎月必ず発生する定型業務であったことです。この「制度が定めた計算ルールを機械に載せる」という発想は、以後の日本の医療情報システムの性格を強く規定しました。診療報酬改定のたびにシステム改修が必要になるという構造も、この時点で生まれています。
- 1961年 国民皆保険達成 → レセプト作成業務が全医療機関の定型業務に
- 1960年代後半 大型汎用機による医事会計のバッチ処理が大病院で始まる
- 計算ルールが明文化されていたことが電算化を可能にした
- 診療報酬改定ごとのシステム改修という構造がこの時期に生まれる
1970年代:部門システムの電算化と「医療情報学」の誕生
1970年代に入ると、電算化の対象は医事会計から診療を支える各部門へと広がります。もっとも早く進んだのが臨床検査部門です。自動分析装置が普及し、大量の検査結果を装置から直接コンピュータに取り込んで報告書を印刷する「検査システム」が登場しました。検査結果という構造化されたデータを扱う部門だったことが、電算化を後押ししました。
薬剤部門では処方箋の内容を入力して薬袋や調剤ラベルを印刷するシステム、放射線部門では撮影予約や照射記録の管理システム、給食部門では食事のオーダーと献立管理のシステムなど、それぞれの部門の業務に特化した「部門システム」が個別に開発・導入されていきました。ただし、これらは互いに独立して動いており、部門間の情報のやりとりは依然として紙の伝票が担っていました。
この時期、大学病院を中心に「病院の情報を統合的に扱う」構想が語られ始め、学術面でも医療情報学が一つの分野として形をなしていきます。日本では1980年に日本医療情報学会が設立され、翌1981年には第1回の医療情報学連合大会が開かれました。医療情報を体系的に研究し、病院全体を一つのシステムとして捉える考え方の芽が、この時代に育ちました。
- 臨床検査システム:自動分析装置との接続で最初に電算化が進んだ部門
- 薬剤・放射線・給食などの部門システムが個別に導入される
- 部門間の情報連携は依然として紙の伝票
- 1980年 日本医療情報学会設立。医療情報学が学問分野として成立
1980年代:オーダリングシステムの登場と「発生源入力」
1980年代、病院情報システムの歴史における最初の大きな転換点が訪れます。それがオーダリングシステム(オーダエントリシステム)の登場です。オーダリングとは、医師が検査・処方・注射・画像撮影などの指示(オーダ)を端末から直接入力し、その情報が検査部門、薬剤部門、放射線部門、そして医事会計へと電子的に伝達される仕組みです。
それまでの病院では、医師が紙の伝票に指示を書き、看護師や事務職員がそれを各部門に運び、部門ごとに転記して処理し、最後に医事課が会計のために再度入力するという多重転記が当たり前でした。オーダリングは、情報が発生した場所で、発生させた本人が一度だけ入力する「発生源入力」を実現し、転記ミスと待ち時間を大幅に削減しました。医師が自ら端末を操作するという点で、医療現場の働き方を根本から変えた仕組みでもあります。
日本では1980年代に一部の大学病院や大規模病院が先進的にオーダリングを導入し、1990年代を通じて大病院に普及していきました。導入にあたっては、医師が入力業務を担うことへの抵抗、端末の操作性、部門システムとの接続、そして高額な投資といった課題が常に議論されました。この時期に確立された「オーダを起点に部門と会計がつながる」という設計思想は、その後の電子カルテの骨格となり、現在の病院情報システムにも受け継がれています。
- オーダリング:医師の指示を端末入力し、各部門と医事会計に電子伝達
- 発生源入力により多重転記を排し、ミスと待ち時間を削減
- 1980年代に大学病院で先行、1990年代に大病院へ普及
- 「オーダを起点に部門と会計がつながる」設計思想が電子カルテの骨格に
1990年代:クライアント/サーバと部門システムの成熟
1990年代は、コンピュータ技術そのものの大きな変化が病院システムを変えた時代です。大型汎用機やオフィスコンピュータに専用端末をつなぐ集中型の構成から、UNIXサーバやパソコンをネットワークでつなぐクライアント/サーバ型へと移行し、端末のコストが下がって病棟や外来の各所に配置できるようになりました。グラフィカルな画面が可能になり、医師や看護師にとっての操作性も向上しました。
この時期、放射線画像のデジタル化も進みました。CTやMRIといったデジタル機器の普及を背景に、画像をフィルムではなくデータとして保管・配信するPACS(医用画像管理システム)が導入され始めます。画像データの標準規格であるDICOMが1993年に制定され、異なるメーカーの装置とシステムを接続する基盤が整いました。検査・薬剤・画像・看護など、各部門システムはこの時期に機能を充実させ、病院情報システムは複数のシステムの集合体として成熟していきます。
一方で、この「集合体」という性格は、後に長く続く課題も生みました。部門ごとに異なるベンダーのシステムが導入され、それらを接続するインターフェースが病院ごとに個別に作られたため、システム全体の構成が複雑化し、更新や移行のコストが高くなったのです。日本では、こうした個別最適の積み重ねが「ベンダーロックイン」や「システム更新の負担」として、2020年代の医療DX政策で標準化が強く求められる遠因となっています。
- 集中型からクライアント/サーバ型へ。端末が病棟・外来に広がる
- PACSの導入とDICOM(1993年)による画像連携基盤の整備
- 部門システムが充実し、HISは複数システムの集合体として成熟
- 個別接続の積み重ねが後のベンダーロックイン・更新負担の遠因に
海外との比較:日本の病院情報システムの特徴
日本の病院情報システムの発展経路には、海外と比べて際立った特徴があります。米国では、1960年代から大学病院や退役軍人病院で臨床情報システムの研究開発が進み、1990年代には医療の質と安全の観点から医師のオーダ入力(CPOE)が推進されました。一方、保険制度が多様で請求ルールが支払者ごとに異なるため、請求業務の電算化は病院ごと・保険者ごとに複雑な形をとりました。
日本では逆に、全国一律の診療報酬点数表が存在したことで、医事会計の電算化がいち早く、かつ全国規模で進みました。オーダリングも「医療の質」以上に「医事会計への正確なデータ伝達」という業務効率の観点から導入が進んだ側面があります。この結果、日本の病院情報システムは請求と業務効率に強く、臨床的な意思決定支援やデータの二次利用は相対的に遅れるという性格を帯びることになりました。
この性格は、良くも悪くも現在まで続いています。診療報酬改定への迅速な対応や算定精度の高さは日本のシステムの強みですが、蓄積されたデータを診療の質や研究に還元する仕組みは長く弱点とされてきました。歴史を理解することで、なぜ今の医療DX政策が「標準化」と「データの二次利用」を強調しているのかが見えてきます。
- 米国:臨床情報システム研究が先行、CPOEは質・安全の観点から推進
- 日本:全国一律の点数表が医事会計の早期電算化を可能に
- 請求・業務効率に強く、意思決定支援・二次利用は相対的に遅れる性格
なぜ「カルテ」は最後まで紙だったのか
医事会計、部門システム、オーダリングと電算化が進むなかで、診療記録そのもの、つまりカルテは1990年代を通じて紙のままでした。オーダリングを導入した病院でも、医師は端末でオーダを入力したうえで、診察の所見や経過は紙のカルテに手書きするという二重の運用が一般的でした。なぜカルテだけが取り残されたのでしょうか。
最大の理由は法的な位置づけでした。医師法や医療法は診療録の作成と保存を義務づけていますが、紙以外の媒体での保存が認められるかどうかは、1990年代末まで明確ではありませんでした。加えて、カルテには所見や経過といった非構造化の自由記述が多く、当時の入力技術では手書きの速さと柔軟性に太刀打ちできなかったこと、医師が診察中に端末を操作することへの心理的抵抗が強かったことも要因です。
この状況を変えたのが、1999年の厚生省通知でした。診療録の電子媒体での保存を正式に認めたこの通知は「電子カルテ元年」と呼ばれる転換点となり、以後の病院情報システムは電子カルテを中心に再編されていきます。この続きは、シリーズ第2回「電子カルテの誕生と普及」で詳しく解説します。
- 1990年代までカルテは紙。オーダリング導入病院でも二重運用が一般的
- 電子保存の法的位置づけが不明確だったことが最大の障壁
- 自由記述の多さと入力技術の限界、医師の心理的抵抗も要因
- 1999年の厚生省通知が「電子カルテ元年」の転換点となる
第1回のまとめ
電子カルテ以前の病院情報システムは、レセプト業務を電算化した医事会計システムから始まり、部門システムの電算化を経て、オーダリングによる発生源入力の実現へと発展しました。この過程で確立された「制度上の計算ルールをシステムに載せる」「オーダを起点に部門と会計をつなぐ」という二つの思想は、現在の病院情報システムの深部に今も残っています。
同時に、部門ごとの個別最適とベンダーごとの独自接続という構造も、この時期に形づくられました。これが後の標準化やデータ連携の難しさにつながっていることを理解しておくと、現在の医療DX政策の意図が見えやすくなります。次回は、1999年の電子カルテ元年から2010年代までの、電子カルテの誕生と普及の歩みをたどります。